
*Milan -Duomo-*
ラベルのないワインが特においしいと思うのはなぜか。
ワインにこだわりのない(ワインがよくわからない)人の言い分。
昼過ぎにリグーリアからミラノに戻ると、お邪魔している友人宅で、友人が
「ティラミス作っといたよ」と手造りティラミスをごちそうになる。
ティラミスはイタリアで食べると、お店に寄るが、意外にそこまでおいしくない事が多い 笑)
友人は、イタリアのしっとりしすぎのティラミスではないティラミスが食べたいと日本のネットで調べて作るそうだ。
自分では料理はうまくないと言うが、彼女の作ってくれるものはどれもおいしい。
曰く、日本で食べていた懐かしい家庭料理からイタリアンまで、おいしいものを食べたいという食い意地というパッションがあるだけだそうだが。パッションって必要だ。
とりあえず、私は、そんな家庭で作ってもらう料理が大好きだ。
もともと、さほど外食に興味がないかもしれない。
イタリア好きのイタリアの味を知っている人と食事をするのは、その良さをわかってるから居心地がいいし、かといって、居酒屋のチェーン店でも、おいしく楽しめるとこもあるし、それで満ち足りる。
こういう産地のこういうのでこれが好きなんだ、と、いいワインを飲ませてもらったりなんかしたら、もちろんすごくうれしいけど、これが飲みたい、あれが飲んでみたいとか特にないので、その場でおいしく飲めれば幸せ。そこまでうれしい度に振り幅がないかもしれない。(豚に真珠?)
夏になったら、鰻がたべたいなあ、とか
スイカが食べたいなあ、とか、
ドイツに行ったらおいしいソーセージが食べられたらうれしいなあ、
ってノリで、大雑把なセレクトで満たされるある意味、幸せな人間。
ただ、イタリアでマンマの手作りパスタなんて食べられた日は、めちゃめちゃラッキーだと思う。
味わってしまえば、イタリア人が「マンマの料理が世界一」と言うのは、ほんとに本当なのだ、とその言葉が染み入る。
日本でイタリア好きというと、ワインに詳しかったり、ワインへのパッションが強い人が多いが、逆にイタリアに行くと大抵の人は、ワインならなんでもいいというように感じる。普通に簡単においしい自国のワインが身近過ぎるからか、地元の人間が意外に自分の地元の観光地について知らないのと同じだろうか。
イタリアで、知り合いに全くお酒を飲めないカップルもいるし、日本のイタリアワイン好きが、その場で飲んでいるワインの産地や葡萄について語ったとしたら「へえ、そんなん知らん〜」って言う人は意外に多い。(たぶん・・)
この料理には、赤でちょっと重いのがいいねえ、白が合うねえ、試験に受かったぜ、シャンパンでもあけようぜ!(スーパーで3ユーロくらいとかから売ってるあのスパークリングワインはなんなんだろう?)だいたいのところ、これでいい。
まあそんなに飲めないし、なんでもいいんだおいしけりゃ、っていう感覚でも、特においしいなあって思うのは、ラベルのないワインボトルに入った赤ワイン。
友人宅でも、彼女の旦那さんの知り合いのワイナリーからだったか、おいしかったから樽で分けてもらって、こうしていつもの食事のお供へ登場するとの事。
ラベルのないワインボトルのワイン。好き。おいしいに決まってるのだ。
直接、口にするまでの距離が短いからなのか、ほんとに無添加だからなのか、親しい人と手料理でおいしく感じるのか、なんせ、な〜んかおいしいような気がするのはなぜだろう。
昔、フィレンツェでホームステイをした先の奥さんの実家で作っているというワインをラベルのないワインボトルでもらったが、あれもおいしかった。
ラベルのないワインなんて逆に目新しい、というか珍しいっていう希少感だろうか、
エチケットから推測できる情報が何もないミステリアスさからだろうか。
(あっても私は何も分からないのだが、雰囲気でさ。ああ、そういえば、友人から冷蔵庫を引き継いだ時に、たんまりと黒い液体が入ったペットボトルが入っていた。目に付く度、ちょっとドキドキした。吉田ソースだった。)
まあまあ、ここまで、ワインについて無知な人間の全て独断と偏見なので、悪しからず。
とにかく、彼の地で、天井が高めで壁が白くて四隅の角が丸い一般的なイタリアの家の造りの中、ノーラベルのワインボトルから、普通のガラスコップに注がれるワインを飲みながら、その家人の作ってくれた食事を頂く。その空間にいるのは、最高だ。
※写真 初めて工事中じゃないミラノのドゥオモのファサードを見た。